《日本アルプス十二題 劔山の朝》
大正15(1926)年 木版、個人蔵
山岳画家としても知られる吉田博50歳頃の作品。
手前に見えるのは博愛用のテント。
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真摯に自然と向き合い、日本や海外を旅しながら多くの写実的な風景画を描いた画家、吉田博。
早くから欧米で評価され、GHQのマッカーサーやイギリスのダイアナ妃といった海外の要人に愛された吉田博の画業を、初期から晩年まで俯瞰できる回顧展が開かれています。
《ケンジントン宮殿の中にある執務室のダイアナ妃》
イギリスの王室雑誌『Majesty』1987年より 写真提供:吉田司
ダイアナ妃の背後の壁に掛かる吉田博の版画 |
1876年、旧久留米藩士上田家の次男として生まれた博は、山々に囲まれた自然豊かな土地で育ち、幼少の頃から紙と鉛筆を持ち歩いて身近な野山の風景を描いていました。中学の時に図画教師吉田嘉三郎に画才を認められ養子となり、18歳の頃に上京して小山正太郎の画塾不同舎に入門。鉛筆を使ったデッサンを徹底して叩き込まれ、その上で水彩画や油彩を学んでいきました。硬派で頑固一徹九州男児を地でいく博は、絵画制作に対してもストイックで、研究熱心なその様子から塾仲間に「絵の鬼」とあだ名されていました。
21歳になった博は、東京の上野で開かれた明治美術会(小山正太郎らが日本で初めて結成した西洋風美術の美術団体)の展覧会に作品を出品。画家としてデビューします。
《雲叡深秋》 明治31(1898)年 油彩、福岡市美術館蔵
デビュー作の油彩画のうちの1点。 |
1899年、博は塾仲間と共に、見聞を広めるために欧米に渡航しました。片道切符とわずかな生活費を握りしめた決死の大旅行。渡米後間もなくデトロイト美術館の館長に認められ、同館で展覧会を開くと、博の作品だけでも1000ドル(当時の小学校教諭13年分の生活費に相当)を売り上げる快挙をなし、稼いだお金でヨーロッパにも足を延ばすことができました。
2度目の渡航時には、同じく不同舎で学んでいた義理の妹ふじをと連れ立って旅をしました。当時16歳だったふじをが描いた絵も、アメリカで好評を得ました。
《ヴェニスの運河》 明治39(1906)年 油彩、個人蔵
ふじをとともにイタリアのヴェニスに滞在していた時に描いた作品。
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1907年、欧米旅行から帰国した博は、義理の妹ふじをと結婚。この頃、国内の展覧会で次々と受賞し、日本の洋画壇の頂点に登りつめます。
ふじをと国内で行った2人展は評判を呼び、同時代の小説である夏目漱石の『三四郎』の中に登場する絵画展のシーンのモデルになったとされています。
大正期に入り、印象派に影響を受けた黒田清輝率いる白馬会の明るい色彩の絵が持て囃されていましたが、博は流行に流されず写実的な画風を貫いていきました。博は白馬会をライバル視していたらしく、最初の欧米渡航の企ても、白馬会のメンバーが次々と国費で仏留学することへの対抗意識があったのではないかと言われています。「黒田清輝をぶん殴った」という証言まで残っているとか。
《穂高山》 大正期 油彩、個人蔵
博が愛した山。次男を穂高と名付けています。 |
博は伝統的な分業制の日本の浮世絵の制作技法を生かしつつ、新しい木版を追求する新版画を制作します。3度目の渡米で幕末期の粗悪な浮世絵が持て囃されていることを知った博は不満を抱きますが、博の新版画も好評を得たことで改めて木版画制作に意欲的に取り組むようになりました。伝統的な木版画よりもサイズが大きく、一枚の絵を仕上げるのに版木をたくさん使って豊かな色使いで繊細な表現を可能にしました(伝統的な木版画の摺りは10数回。博は平均30回、最多90回以上)。また、同じ板木を使って色だけ変えて時間の変化を表現するなど、独自の木版画を次々と制作していきました。
《瀬戸内海集 帆船 朝》 大正15(1926)年 木版、個人蔵
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ダイアナ妃も所蔵していた瀬戸内海帆船シリーズ。
同じ板木を使って色を変え、同じ場所の違う時間帯の景色を表現。
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1930年以降、博はアフリカやインド、その他アジアの国々へ写生旅行に出かけます。ヒマラヤの山々などを取材し、全32点の木版画シリーズ「東南アジア・インドの部」を完成させます。
《印度と東南アジア フワテプールシクリ》
昭和6(1931)年 木版、個人蔵
47度も摺りを繰り返し、イスラム建築の黄金に輝く
美しさが表現されています
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博は1938年から40年まで従軍画家として中国に赴きました。零戦に乗せてもらってスケッチをしたという逸話も残っています。
終戦後は、アメリカで木版画を成功させていた博の自宅に進駐軍関係者が集い、サロンやクラブのようだったといいます。
1947年に太平洋画会の会長に就任しますが、その後体調を崩し、1950年4月5日、新宿区下落合の自宅で亡くなりました。
《初秋》 昭和22(1947)年 油彩、個人蔵
伊豆長岡の風景を高台から見下ろした、吉田博最晩年に製作された作品。 |
西洋絵画の写実の技術を体得しつつ、伝統的な日本の自然崇拝の精神を持ち、決して西洋の模倣で終わらない。「画家は自然と人間の間に立って、見能わざる人の為に、自然の美を表して見せるのが天職である」と言う吉田博の作品は、時を超えて現代を生きる私たちにも深い感動を与えてくれます。
「生誕140年 吉田博展 山と水の風景」開催概要
会期:2017年7月8日(土)~8月27日(日)
休 館 日 月曜日
※会期中展示替えが行われます。
前期展示:7月8日(土)〜7月30日(日)、後期展示:8月1日〜8月27日
会場:東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館
〒160-8338 新宿区西新宿1-26-1
損保ジャパン日本興亜本社ビル42階
(新宿駅西口より徒歩5分)
開館時間:午前10時-午後6時(入館は午後5時30分まで)
観覧料:
一 般 1,200円(1,000円)
大・高校生 800円(650円) ※学生証をご提示ください
65歳以上 1,000円
※年齢のわかる物をご提示ください
中学生以下 無料 ※生徒手帳をご提示ください
( )内は20名以上の団体料金
※身体障害者手帳・療育手帳・精神障害者保健福祉手帳を提示のご本人とその付添人1名は無料。被爆者健康手帳を提示の方はご本人のみ無料。
※2回目以降は使用済みの有料観覧券の提出で、一般800円、大学・高校生500円、65歳以上800円。
ホームページ:http://www.sjnk-museum.org/
お問い合わせ:03-5777-8600(ハローダイヤル)
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